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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)6499号 判決

原告 日本警報装置株式会社

被告 小川国雄

主文

被告は原告に対し金四八万円及びこれに対する昭和四一年七月二四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は原告において金一〇万円の担保を供するときは仮にこれを執行することができる。

事実

一、当事者の求める裁判

(一)、原告

主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言。

(二)、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、請求原因

(一)、原告は各種警報器材、報知装置等の製造及び販売を業とする会社で、被告は昭和三九年一一月から昭和四〇年六月まで七ケ月間その営業部長として販売業務に携わつていたものであるが、昭和四〇年六月退社するに当り、原被告間で左の契約が締結された。

(1)、原告会社は被告に対し金四八万円を贈与すること、

(2)、被告は爾後原告と同種の各種警報器材、報知装置の販売をするなど原告の営業利益を害する行為をしないこと、

(3)、被告が前項に違反したときは直ちに金四八万円を返還すること。

(二)、よつて原告会社は昭和四〇年七月一〇日金四八万円の支払いのため、被告に対し、額面金四万八〇〇〇円、受取人欄白地、満期を同年八月から昭和四一年五月まで各月の一〇日とする一〇通の約束手形を振出し、その後夫々その手形金を支払つた。

(三)、然るに被告は昭和四〇年一〇月頃原告会社の得意先を廻つて同種の警報器の注文を取り、更に昭和四一年二月二八日自ら主体となつて理研警報器株式会社を設立して各種警報器の製造販売業務に当り、原告会社の営業利益を害した。

(四)、よつて前記約定により被告は直ちに原告会社に対して金四八万円を返還しなければならないから、右金員及びこれに対する訴状送達の日たる昭和四一年七月二四日以降完済迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、請求原因に対する被告の認否

請求原因中原告会社の事業目的、被告が原告会社の営業部長として勤務していたが、昭和四〇年六月退職したこと、その際原告会社よりその主張の通り金四万八〇〇〇円の約束手形一〇通の振出を受けたことは、いずれもこれを認めるが、その余の主張事実を争う。

原告会社は、昭和三八年九月一九日被告がその資本金一〇〇万円を出捐して設立した会社である。それ迄警報器の製造については、被告の経営する株式会社雪ケ谷プレスの一事業部門たる電気部において、訴外斉田陽助(原告会社の現代表取締役)らを補助として研究を重ね、約二年間斉田の給料等を含め一ケ月八万円ないし一〇万円を右会社において負担して来たところ、昭和三八年に至り研究が実を結び、独立できる見通しがついたので、前記の通り原告会社が設立されたものである。そして被告と訴外斉田が共にその代表取締役となつて協同して経営に当つていたが、昭和三九年二月前記株式会社雪ケ谷プレスが倒産したので、被告はその整理に専念するため、原告会社の取締役兼代表取締役を辞任し、訴外斉田にその経営を一切任した。その後被告は株式会社雪ケ谷プレスの整理を完了し、昭和三九年一一月原告会社に復帰したが、この時には訴外斉田が既に会社の実権を一切握つていて、被告と完全に対立するようになつてしまつた。そして斉田より辞任を要求されたので、被告は原告会社の設立時の事情やその後の被告の功績を述べ、これに対する報償を求めた結果、退職金として金五〇万円を受領して昭和四〇年六月原告会社を退職することになつたものである。ただ税金対策上、退職金とせず、月々の給料名義で一〇ケ月間支払をうけることとし、税金二〇〇〇円を天引し、金額四万八〇〇〇円の約束手形一〇通の振出を受けた。それ故原告会社主張の如き、原告会社と同種の営業をしないことというような条件をつけられたことはない。なお原告会社は右一〇通の約束手形のうち五通については、その支払期日に手形金を支払つていない。又被告は原告と同種の営業を営む訴外理研警報器株式会社に入社しただけであつて、その取締役となつたのは、他から依頼されたからであり、被告が主体となつて右会社を設立したものではなく、もとより被告自身が原告会社と同種事業を営んだものでもない。

四、仮定抗弁

仮に本件契約が原告主張の通りの特約のある贈与であるとすれば、右特約は被告の職業を時間的にも場所的にも限定することなく制限するものであつて、職業の自由を著しく制限するから、公序良俗に反し無効である。

五、抗弁に対する原告の認否及び原告の敷衍した主張

(一)、被告の抗弁を否認する。

(二)、原告会社が設立される前、警報器製造の事業は、訴外斉田陽助(原告会社の現代表取締役)が特許権及び技術を提供し、被告が資金を提供して、共同の事業とし、将来二分の一宛株式を所有して会社を設立する約の下に、差当り被告の主宰する株式会社雪ケ谷プレスの一部門として発足した。ところが株式会社雪ケ谷プレスが倒産の危機に頻したので、当初の約定通り斉田が特許権及び技術を、被告が一〇〇万円を出資し、株式を半分宛保有することとして、原告会社を設立した。原告会社はその資本金一〇〇万円全部で、株式会社雪ケ谷プレスが使用していた古い部品を買入れたため、運転資金を借入金でまかなわねばならず、昭和三九年三月頃は従業員の給料等のため早くも金一五〇万円以上の赤字を生んだ。このため被告は原告会社の経営に興味を失い、昭和三九年四月斉田に対し、所有株式を金一〇〇万円で売渡す約を結んで、原告会社の取締役、代表取締役を辞し、無縁となつた。その後原告会社は斉田陽助や従業員の懸命の努力によつて負債を解消し、昭和三九年一〇月には斉田が、銀行・警察間の直接の信号機を開発して、これを発売したところ大いに当り、売上げが急増して、原告会社は一躍安定した会社に発展した。そこで斉田は同年一一月被告に対し復帰方を説得した結果、被告は営業部長として原告会社に新たに勤務することになつた。ところが昭和四〇年一月になつて被告は早くも原告会社と同種営業の新会社を作りたい意向を洩らしたが、遂に同年六月東北地方の窯業会社の再建方を知人から懇望されているので、原告会社を退社したいと申出た。それで斉田は未払いのままになつていた被告の所有株式の買受代金一〇〇万円はこれを支払つたが、原告会社の発展に対し被告は何も功績を残していないし、在職期間も僅か七ケ月に過ぎなかつたので、退職金の支払を肯んじなかつた。ただ被告が窯業会社の再建のため辞めるというので、原告会社としては、若干の金員を贈与してもよいと考え、被告に対し原告会社と同種の業務を一切しないという約束をとつて、休職手当の名目の下に同年八月から一〇ケ月間毎月金四万八〇〇〇円(税引き)を贈与することになつたものである。

六、証拠関係〈省略〉

理由

原告会社が各種警報器、通報装置の製造販売を業とする会社であること、被告がその営業部長として勤務していたが、昭和四〇年六月頃退社したこと、その際原告会社が被告に対し金額いずれも金四万八〇〇〇円、満期同年八月から翌年五月までの各月の一〇日、受取人白地の約束手形一〇通を振出したことは、いずれも当事者間に争いがない。

いずれも成立に争いのない甲第三ないし第六号証、甲第八号証、甲第一〇号証の一、二、乙第一号証、原告代表者尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

原告会社の代表取締役たる訴外斉田陽助は、昭和三七年二月二一日被告との間で自動盗難報知装置の事業化を計画し、斉田がその発明にかゝる装置や技術を提供し、被告が資金を提供して、共同してその事業化を推進することを約し、将来は会社組織とする予定の下に、差当り被告の経営する株式会社雪ケ谷プレスの一部門として発足したこと。昭和三八年九月株式会社雪ケ谷プレスの経営が苦しくなつたのを機に、同月一九日被告が金一〇〇万円を出捐して原告会社を設立し、斉田陽助はその発明にかゝる盗難通報装置を提供することとして、夫々株式の二分の一宛を保有すると共に、右両名が代表取締役となつて共同してその経営に当つたこと。ところが原告会社は業績があがらず、僅か半年の間に金一五〇万円から金二〇〇万円の負債を負うに至つたので、被告は原告会社の経営に興味を失い、斉田に対し百万円を払つて貰つて、原告会社より手を引きたい旨を申出たこと。斉田はこれに応じ、昭和三九年四月両者の間で、被告の保有する原告会社の株式を代金一〇〇万円で斉田に処分方を一任すること、右の代金一〇〇万円は、これを直ちに金策できないので、金策でき次第支払うことを約して、被告は取締役兼代表取締役を辞任し、原告会社から手を引いたこと。その後原告会社は斉田の努力により別個の通報装置を開発して、これを発売したところ、それが大いに当つて莫大の利益をあげ、負債を解消した上、一躍安定した会社となつたこと。そこで斉田陽助は昭和三九年一一月被告に対し再び原告会社に戻るようすすめたところ、被告は感激して原告会社に復帰し、営業部長として販売業務に従事したこと。然るに被告は程なく原告会社から独立して盗難通報装置を販売したい意向を抱くに至り、一旦は斉田になだめられて意を翻えしたが、次第に両者の間で意思の疎通を欠くようになり、遂に昭和四〇年六月被告は退社を申出たこと。このとき被告は原告会社代表者斉田陽助に対し、会社発足当時被告において事務所の移転費を負担したり、自動車、電話を提供したことを述べて、さきの株式処分代金一〇〇万円のほか、金五〇万円の退職金を要求したところ、斉田は金一〇〇万円の株式処分代金は別とし、原告会社には退職金の規定はないし、被告は原告会社の苦境時代に去り、原告会社が発展してから戻り、而も復職後の勤務期間は七~八ケ月であつて、原告会社の発展に寄与したわけではないので、被告の右の要求を拒否したが、被告より『知人のしている東北地方の窯業会社へ行つて働らき、警報装置の製造販売に従事しない』旨申出たので、斉田はそれならば原告会社として五〇万円位を贈つてもよいと考え、被告に対し、原告会社と同業の警報器等の製造販売の業務に従事しないこと、これに反したときは返還して貰う旨念を押し、被告もこれを応諾したので、一〇ケ月間に亘り毎月金四万八〇〇〇円宛計金四八万円を贈与することとし、税金関係からこれを形式上休職手当名義で支払うこととし、更に被告の希望によりその支払いのため冒頭記載の通り金額四万八〇〇〇円の約束手形一〇通を振出したこと。即ち原告会社主張の如き内容の負担付贈与が成立したこと。

以上の事実が認められ、右認定に反する被告本人尋問の結果は措信できない。

次にいずれも成立に争いのない甲第一、第二号証、甲第七号証、甲第一〇号証の一、二、甲第一一号証及び原告代表者尋問の結果によれば次の事実を認めることができる。

被告は原告会社を退社後六ケ月ほど経た昭和四〇年一二月から、原告会社に在職中注文取りに廻つたさきを廻つて、盗難通報装置の売込みをやりだしたので、原告会社は同月二七日被告に対しその契約違反を責め、既に支払つた分の返還を要求したが、被告はこれに応せず、翌昭和四一年二月二八日設立された原告会社と同種の事業を目的とする理研警報機株式会社の取締役となり、原告会社の従業員を引抜き、一年ないし一年半の間盗難通報器の製造販売の業務に従事したこと。被告は前記約束手形中昭和四〇年一二月一〇日満期までの分は支払をうけ、満期の未到来だつたものは、これを他に譲渡し、その後この手形の所持人となつた清田弘一より原告会社に対し手形金請求訴訟を提起し、原告会社は応訴したが、敗訴となつたので、巳むなく清田に手形金を支払い、結局前記一〇通の手形金は全部これを支払つたこと。

以上の事実が認められる。

してみれば被告は原告会社より贈与として金四八万円の支払を受けながら、原告会社と同種の盗難通報装置の製造販売に従事したものと判断できるから、前記約定により、右金四八万円を原告会社に返還する義務があるものと謂わねばならない。

被告は、職業の自由を何ら限定を付さずに制限する約定は公序良俗に反するから無効であると抗争するけれども、上来認定の事実によれば、前記金四八万円は賃金の後払いの意味を有する退職金として理解すべきではなく、又被告は原告会社に対し本来金四八万円の請求権を有していたものではなくて、金四八万円は贈与されたものであり、而もその贈与は職業の自由を制限する特約と密接不可分の関係にあると認められる。

一般に合理的な事由がないのに特定の職業につくことを禁ずる契約は、公序良俗に反するものと考えられるけれども、その禁止がある代償を受ける代りに課せられる場合は、それが相手方の窮迫に乗じたとか、差別待遇になるとかこれにより著しく独占的傾向を生じ、公正な取引が阻害される結果を来たすとか、特別の事由がない限り、これを以て必ずしも公序良俗に反するものとは認めがたい。ただこの場合でも代償を保有し続ける限り、職業の自由を制限されても巳むを得ないと謂うのであつて、その代償は、これを随時返還して、該制限を免れることができるものと解すべきであつて、これに反し、一旦代償を受けた以上、これを返還しても制限を免れることができないと解することは、理由なく職業の自由を制限することに帰し、許されないと謂うべきである。されば本件においても前記負担付贈与契約が無効とは解しがたく、被告が職業の自由を回復したければ、金四八万円を返還すれば足りるのである。よつて本件負担付贈与契約中、負担即権特約部分のみを捉えて、これを無効と主張する被告の抗弁は採用できない。

よつて被告に対し金四八万円及びこれに対する訴状送達の日より完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求を認容することとし、民事訴訟法第八九条第一九六条の各規定を適用して主文の通り判決した。

(裁判官 室伏壮一郎)

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